タイトル
HOME > 日本一周の記録編 > 実現 > 統計・考察 > 食生活の変化
食生活の変化
考察

横軸が月、縦軸が一日あたりの食費である。
例えば、2002年6月は一日あたりの食費が約2000円だから×30日で計6万円かかっていることになる。
一日あたり2000円は高いだろ!と思ったあなた、これは二人分の食費です。
一人一日夏目漱石さん一枚と考えればそう高くはないのでは?

逆に2003年の3月は一日あたり787円。
二人で一日これだけ?って疑いたくなりませんか?
でも真実はいつもひとつ、このころは3食自炊があたりまえだったからできたんだけど、787円てことは月に直すと
24000円くらい。
どう?けっこう現実的な数字じゃないか。


上記のグラフを見ると旅が進んでいくと徐々に食費が抑えられていっているのがよく分かる。
かといって食生活が質素になっているわけでは断じてない。
むしろ食生活は豊かになっており、食費減少の原因は食生活の変化にある。
その変化を朝食・昼食・夕食に大別して解説する。


<朝食>
スタートした当初、朝食は総菜パンを食べていた。
おいしいし毎日変化があってGoodなのだがいかんせん値が張る。
これではイカンと思いある時食パンに切り替えた。
味の変化はジャムでつけたしなんといっても安いのがいい。
それ以来、朝食は食パンというのが定番になっている。
そしてこのスタイルは結局ゴールするまで続いた。

ごくたまにだが朝食にごはんが登場する。夕食の時に多めに炊いておいたやつだ。
朝からごはん、日本人として幸せ極まりないぜいたくだが、あとここにみそ汁があったらな〜〜。

<昼食>
その土地の農産物、海産物を食すというのは旅の醍醐味の一つだからという理由で最初の頃は外食ばっかりしていた。
スタート直後4月の食費がバカ高いのはこのせい。
ところが食費があまりにもかさんでしまってこれじゃ旅が続かないという判断で外食を抑えた。
その代わりにスーパーで弁当や総菜を買うことにして、入りたい店があったときだけ外食するように切り替えた。
前の日に多めに炊いておいた米を次の日の昼食に登場させ、おかずのみをスーパーで調達するというスタイルが定着。
これでずいぶん食費が抑えられた。

ところがこれにも問題が発生。
入ったスーパーに気に入った総菜が見つからないことがあるのだ。
そんなときは昼食にも自炊。ラーメンやパスタなど簡単なものを作ってしのいだ。

冬、日照時間があまりにも短く、夕方5時には暗くなってしまうために夕食を自炊している余裕がなくなってしまった。
暗い中を自炊するのは楽じゃない。
そこで考えた・・・昼にしっかり自炊して夜は簡単なものにしよう!
そんなわけでついに2003年1月上旬から昼にごはんをたくようになる。
実はこのスタイル、ゴールするまで続いた。

<夕食>
食生活の変化に関しては夕食が一番劇的かもしれない。
夕食はほぼ自炊
日没まであまり時間がないときや食料を調達できなかったときは簡単にラーメンやパスタで済ますこともあるが、大抵はご飯を炊いている。
ご飯以外は最初、レトルトパックを暖めてインスタントみそ汁を飲むというスタイルだった。
そのうちみそ汁をきっちり作るようになった。
具は乾燥ワカメや長ネギ、タマネギ、じゃがいも大根豆腐ほうれんそう・・・とにかくいろいろ入れた。
メインのおかずも、暖めるだけのレトルトパックだったのが「タマネギとまぜて炒めるだけで八宝菜ができる」みたいな半レトルトに変化。これが2002年6月くらいか。
さらに進むと味付きの魚の切り身や肉を炒めるようになる。
そして三陸海岸を走っていた頃(9月)から魚もさばくようになった。
野菜炒めもよく作るようになる。
2002年10月になるとサラダが食卓に登場する。
さすがに揚げ物を作ったことはない・・・。
長ネギ、タマネギ、じゃがいもは常に持っていたから荷物は重かった。

チャンプルー そして沖縄上陸。この土地だけは食生活がガラリと違う。
チャンプルー文化をもろに受けてしまったのだ。ゴーヤチャンプルーとかね。
ゴーヤ、島豆腐、スパムに代表されるポークミートを中心にして野菜を炒めたチャンプルーを毎日のように作っていた。
もーサイコーやったね。

で、沖縄を出たらあっという間に元に戻った。まあそんなもんでしょ。
2003年3月くらい、鹿児島で漬け物をおかずにするようになってから食卓が貧相になった。
めんどくさいからかご飯とみそ汁・・・以上!!てな日が増えたのだ。
だからかな〜、二人とも最後の数ヶ月でけっこうやせたんだよね。





ページの先頭へ戻る | トラブル一覧へ










動機 | 旅に向けて | 計画 | 実現 | Q&A






100MB無料ホームページ可愛いサーバロリポップClick Here!